石清水八幡宮の紅葉
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宇治駐屯地からの帰りに石清水八幡宮に寄った。紅葉のシーズンで天気もよかったので多くの人で賑わっていた。
駐輪場も駐車場も多くの車バイクで一杯。係員の誘導で邪魔にならないスペースに駐輪。階段の上から真っ赤になった紅葉をからめて撮影してみた。
鳥居の方へ先に進む。表参道を少し下っていったけど遠そうだったのでやめて戻った。途中に愛染堂などの跡の碑があった。
江戸時代はお寺と神社が明確に分かれていなくて、神仏習合(神仏混淆)だった。明治維新で神道国教化を目指して、仏教と神道の明確な分離、神仏分離令を発した。
江戸時代には寺請け制度というのがあって、寺で今の市役所みたいな戸籍管理していて、幕府の出先機関の役割を寺がしていた。
明治維新で幕府を潰したのだから、その戸籍管理も新政府が管理する必要があったのと、天皇を頂いた政府を目指したのだから、それまでの寺請けを否定する必要があったのだろうと思う。
そこで、寺の否定、神社を明確に神道にとわけたのが神仏分離令だったが、それまでの寺請けでどうやらお寺関係は庶民から嫌われていたのか、廃仏毀釈運動に発展してしまった。
要するに、仏像やお堂、お寺の破壊、経典や仏典の焼却が行われた。しかも2,3年の短期間のうちに。
奈良の興福寺も貴重な今では国宝の五重塔が売りに出されて薪にされようとしてたのだ。
大和の国、内山永久寺に至っては、大和の日光と呼ばれた大規模な寺院が徹底的に破壊され、農地になり現在は僅かに池が残るだけという惨状。所蔵していた貴重な仏像、障壁画、仏画等は散逸し、一部は国外にも流出している。
そのような流れで、ここ石清水八幡宮も仏教を分離するため多くの塔が潰された。イデオロギーというのものは面倒なものだ。歴史すら否定し、なかったことにしようとする。タリバンが仏像を破壊する映像に衝撃を受けたりしたが、僅か150年前の日本でも同じようなことが大規模に行われたことは忘れるべきではないだろう。文化大革命を笑うことが出来ない。
本殿に行く前に展望台に行こうということで、前回台風のときに来て人っ子一人いなかった展望台だけど、この日は多くの人で賑わっていた。
男山から京都山崎方面を一望できる。展望台に向かう道すがら、ここにも塔があったが破壊されていた。しかも、真ん中に参道を通す徹底振り。文化の否定。歴史の否定。逆にそこまで破壊しないと寺の影響を排除できないほどの権力と権勢があったのだろうかとも思う。
展望台あたりは紅葉が美しかった。落ち葉で作られたハートのマーク
門から望む本殿の向きが違うのも裏鬼門を向いているからだそうだ。
神楽殿のクスノキ 楠木正成が建武元年1334年に植えたとされているクスノキ
壁が築地壁という変わった壁。ミルフィーユみたいな重ねてある構造。防御力が高いらしい
夕暮れ近づき陽が傾きかけ暗くなってきたので帰ることにした。紅葉をバックにショベルとパンを撮影
今は調べようと思えばいくらでも情報を得ることが出来るので歴史を知るのに便利。虚実混合かもしれないけど。
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