島原から鹿児島へ 1 知覧特攻平和会館
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いつもなら佐賀経由で大阪に戻るところだが、今年は熊本へ渡り南下した。鹿屋か知覧のどちらにしようか迷った挙句、知覧にした。1988年の春、友人と二人で京都の嵐山に行った。当時は日本軍の戦闘機についてそんなに詳しくなかった。そこにあった2機の戦闘機。62型の零戦と疾風。しかも疾風は飛べる機体だったと・・・。色々の情報は後で知った。28年ぶりに疾風を見に行こうと。
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さらば島原。また来る日まで。後ろが雲仙、手前は眉山。
熊本に渡った。まだまだ震災の影響がある。古い家屋の多くはブルーシートを被せたままだった。
高速を走り一気に来た、知覧特攻平和会館 九州自動車道南下中、全く知らないハーレーの走行写真を撮った。上手く撮れたけどどうしようもないなぁ。神戸ナンバーの純正トライクと八王子ナンバーのスポスタ。8/16の昼12時ー13時半に九州自動車道南下して、えびのから鹿児島あたり走ってて思い当たる方ございましたらご連絡ください。
上が知覧で下が指宿。宿は指宿にとった。
映画のセットに使われた一式戦 隼。加藤隼戦闘隊で有名。現存機は日本には無い。Ⅰ型はペラが2枚。5,700機以上生産され各国でも運用された。中華人民共和国の空軍は満州にいた関東軍の独立第101教育飛行団第4練成飛行隊長 林弥一郎少佐 が創設の父といわれており、隼を運用してた。しかし5700機以上も生産されたのに一機も現存機が日本に無いのは悲しすぎる。一説には北朝鮮に隠されているとかいないとか。
8月15日で戦争は終結したはずなのだが、外地では内地に引き上げてくるまで筆舌に尽くしがたい悲惨な状況があった。70万ともいわれる人達が、軍人だけでなく民間人も、シベリアに拉致された。戦争は終結しており、捕虜を帰さず強制労働につかせているので明らかに拉致。抑留とはいえない。多くの同胞が極寒の地で今も異国に放置されている。
北方領土の占守島の戦い、内蒙古の4万人の同胞の命を守った根本中将。慰安婦とか南京事件を教科書に載せる前に、もっと伝えなければならない事がある。自国に誇りと矜持を。
自衛隊の練習機
肝心の内部は撮影禁止なので画像は無い。検索すると出てくるけど・・・ 1929のmodelDが疾風の横に展示されていた。疾風の計器は嵐山展示中に取られたとか。翼の補修跡が涙を誘う。マロニーさんじゃなくても激おこになるわ。
特攻隊員が出撃まで過ごした三角兵舎の再現
戦争は外交の一部。特攻は戦闘の一部か。下策と思うのは今の感覚だからか。本館に展示されている手紙を読むと、これが17,18の少年が書いた文章かと思う。文武両道のエリートが集められたのだろう。特攻だけでなく、愚策により南方の海に無残に散っていった徴兵された方々にも思いをはせたい。補給船に乗せられて何も出来ないまま魚雷で沈められて未だ海の底・・・その無念さを想像すると胸が張り裂ける・・・。
大刀洗陸軍飛行学校の知覧教育隊があったようだ。大刀洗には零戦32型を見に行った。
疾風の画像を撮れなかったのでものすごく消化不良。
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