川棚 特攻殉国の碑 震洋
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魚雷発射試験場を満喫したあとは、少し西へ移動して「特攻殉国の碑」にやってきた。魚雷艇の訓練所として1944年横須賀から移転。
この地が訓練所だったことを偲ばせる遺構。それが開設資材や震洋艇などの揚げ降ろしに利用されていたクレーンの基礎台。殉国の碑から沖合いすぐの所に見える。
川棚魚雷艇訓練所跡の碑と
特攻殉国の碑
特攻艇(震洋)の模型が展示されていた。この地で震洋の要員の養成や、回天・伏龍・蛟竜の要員を訓練し戦闘に出陣。3,511名が命を落とした。
震洋はベニヤのボートにエンジンと爆弾つけて、敵艦船に突っ込むというもはや兵器とは呼べない代物。
回天は有名だけど、魚雷のセンサー代わりに人間を使用したもの。
しかしこれらはまだマシで、『伏龍』は狂気の沙汰。足元しか見えないクソ重い潜水服を装着し、手に物干し竿の先っぽに爆弾がついたようなものを持って浅瀬で待機。たまたま上を通過した敵艦船に爆弾を当てるという、もはや思いつき以下のもの。足元しか見えないのに、どうやって上部の敵に爆弾を当てるのよ。で、万が一にも爆弾が当たったら、爆圧で確実に死んでしまうという。さすがに実戦では使用されなかった。
政治の舵取り間違い、軍部の暴走、国民の無知無関心、マスコミの扇動、その結果がこの最早兵器と呼べない、人の命をセンサ代わりにする悪魔の所業。
航空機エンジンにしろ、弾薬、小銃、その他諸々の重工業の類はほとんどが欧米の技術を参考というか真似して作られていた。なので、欧米と戦争するとおのずと技術は止まり発展しなくなる。なのに戦争を始めてしまった。
特攻で命を散らした若き兵士達には感謝の念しかないが、そうせざるを得ない状況に持っていった指導者層には怒りしかない。
こちらの地図と比較するとわかりやすい。コンクリート礎石のみ浮かんでいるが、訓練所の時代は桟橋も整備されていた。
「震洋」特攻隊は日本海軍が大東亜戦争末期、万策つきながら最後の期待をかけた部隊である。秘密の水上特攻兵器「震洋艇」(ベニヤ板製の小型高速モーターボートの艇首に250キロ爆装)
と書いてあった。命を散らした若人には感謝しかないが、そうせざるを得ない状況を作り出したのに偉そうにしていた人達には怒りしかないわ。
複雑な気持ちを抱き、次の場所へ
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