佐太天神宮と来迎寺 大阪府守口市
にほんブログ村
Youtubeやってます。チャンネル登録お願いします==>楽しいショベルヘッドyoutubeチャンネル登録
近所の神社仏閣は、結構古い建造物が多い。いつも散歩がてらにお参りする神社の鳥居は貞享三年、丙寅、1686年製だ。井原西鶴が「好色一代男」を発表した後くらい。島原の乱から50年ほど経過し、太平の世の中に移行していく丁度そんな時代の産物だ。そんな時代の建造物が近場であちこちにあるので、今回は佐太天神宮などの紹介。
[ad name=”relation add”]
[ad name=”Google Adsense”]
1948年の航空写真。右上からちょっと真ん中よりのところが佐太天神宮。
現在は住宅街になってしまっている。池が消えて建物が建っているが、地盤弱いんだろうなぁ。ゆうても、このあたりは上町台地以外は河内湖が堆積して出来たところだから、どこも地盤は弱いと思う。
佐太の渡、淀川を渡るのに船で渡っていた。1970年代くらいまでは、淀川に渡しの名残があったけど(白黒画像みれば突堤がある)現在は名残が消えてしまっている。淀川堤防手前に石碑がひっそりと建っている。道行く人も気にしない。
昔はこの道を多くの人が行き来してたんだろう。今では住民の散歩道。サイクリング通勤のひとも多い。
佐太天神宮。
勅梅なんてのもある。道真公関係なので牛もいる。
佐太戎さん。社の後ろにも回ってお参りする。
こういったのは子宝関係の神さんにされてまうね。
横の出口を抜けるとお寺がある。来迎寺(らいごうじ)
大念仏衆佐多派の総本山として正平二年(1347)守口市来迎町に建立された。延宝六年(1678)この地に定着。現在は浄土宗知恩院の末寺だそうだ。
横に伸びる松が有名。写真ではわからないけど、かなり横に広く広がっている。
裏に回ると、鎌倉時代後期 嘉元二年 (1304年)製の、来迎寺十三重石塔(府指定文化財)がある。
来迎寺は「幽霊の足跡」がある寺でも有名。一般公開はしていないので見れないけど・・・
江戸時代は佐太陣屋があった場所。
昔から在った道。ちょっと移動すれば車が多く走る幹線道路なのに、昔からあるこの町並みは人通りも少なく静寂の中にある。
佐太天神宮横。
来迎寺門前。
こんな感じの地元神社仏閣紹介。1948年の航空写真を眺めながら古い近所の町並み探して探索してみよう。
にほんブログ村
Youtubeやってます。チャンネル登録お願いします==>楽しいショベルヘッドyoutubeチャンネル登録
No comments yet.