20年近くぶりに沖縄行ったらある人に出会った話
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20年近くぶりに沖縄に行ってきた。10月だというのに息をするだけで体力を消耗するような湿度と温度。景色は南国で美しかった。
本島中部西側にある古宇利島に続く古宇利大橋。古宇利島を一周して道の駅そらはしに入った。
店内で土産ものを見てるとV2サウンドが。外を見るとハーレーが1台入ってきた。綺麗な風景の中を走れるのはなんとも良いなぁと思い目で追った。
スターフルーツでも食べてみようかと思い店に並んでいると、先ほどのハーレー乗りのダンディなお父さんが商品を見ようとしていたので、どーぞどーぞと避けた。
スターフルーツを外のベンチに座って食べてたら、ダンディなお父さんが横に来たので、「いいですねーハーレー、ファットボーイですか?」と。「いや、あれソフテイルw 色々カスタムしてたらこんなんになってさー」
「かなりカスタムしてるなーと思って気になって話しかけたんですw エンジンとかも弄ってますの?」
「そうそう、最後のキャブ車でね、キャブは交換してるよ」
「そうなんですね、何をつけておられるんですか?S&S?」
「うーん、なんだっけ、なんとかレーシングってとこ、アメリカの」
「え、なんでしょね、見ればわかるので見て来ていいですか?」
そういってハーレー見に行ってキャブを見てきた。
おお、これはミクニのHSR! 実は私も数日前に数年ぶりにHSRに交換したところだった。
「ミクニレーシングですね!HSRです」「そうそうそれそれ!」
「このハーレー、息子が帰ってきたら乗ってるのよ」と。お連れの方は息子のファンだという・・・
「え?そうなんですか、ちなみに?」
「ISSAですわ」
まじかww DAPUMPのISSAのお父さんに馴れ馴れしく話しかけてたw
一緒に写真撮らせてもらっていいですか?と尋ねると、いいよーと気さくに応じてくれて、
「じゃ、U.S.A で撮ろうかw」となんとも気さくで陽気なお父さんだった。
お別れした後、万が一本当の話じゃない場合も念のため考え、ネットで調べたら、数か月前にミュージックステーションにこのハーレーでお父さん出てたとか(笑)
というか、普通に有名人だった。
本も出しておられる。
ちなみに、ソフテイルはカムも点火もカスタムしてるそうで、アグレッシブな走りが出来そうで楽しそう。
お礼を言ってお別れした。帰りに古宇利大橋を渡っていると、対向をお父さんが走ってた。いい音してた。
その他、戦跡巡りで行きたかった、義烈空挺隊玉砕の地の碑。唯一残る、掩体壕横にある。
米軍に占領されて読谷空港も整備されていた5/24に空の神兵で有名な空挺部隊、しかし大戦末期で活躍する場もなく過酷な訓練を繰り返していた奥山道郎隊長が率いる義烈空挺隊が97式重爆を超低空飛行で侵入させ、1機だけが読谷飛行場(北飛行場に)強行胴体着陸し、航空機や燃料など爆破し全員が射殺された。最後の一人は残波岬まで移動したがあえなく掃討された。
本当の強行着陸場所はここではなく、ここから南南西に300mほど行った中学校のグラウンド。以前、空港跡がサトウキビ畑になってた頃は、サトウキビ畑の中にこの碑の先代の碑が建っていた。
先代の碑は義烈空挺隊が飛び立った熊本の健軍駐屯地にて大切に展示されている。こちらには立派な慰霊碑があるが、強行着陸した読谷側はなんとも寂しい処遇である。元来の着陸場所近くに木製ではない碑を設置する運動もあるようだ。映画「激動の昭和史 沖縄決戦」では、奥山隊長の機体が強行着陸したことになっているが、実際は別の機体。
自分も数年前まで義烈空挺隊を知らなくて、調べれば調べるほどなんとも言えない作戦だと思うけど、そうせざるを得ない状況を現在の感覚では一概に語ることは出来ないと思う。
ちなみに血縁者が沖縄戦で亡くなっているので、摩文仁の丘にも行って名前を探し拝んできた。
至るところが南国の美しさを魅せてくれる沖縄。風景画像もたくさん撮れた。
アメリカンビレッジにも行った。夜になると駐車場が車の展示会場になるそうで・・・
コザに泊まったけど、商店街はいい感じのレトロ加減で趣がある。返還前は大賑わいだった場所で、バブルの頃も賑わってたイメージがあったけど、清里駅前みたいな感じで当時の華やかさとの対比が切なくなる風景だった。
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